2023年12月15日金曜日

Festival of the Holy Name

Festival of the Holy Nameというキールタンのフェスティバルが毎年
Thanks Givingの後の金曜日と土曜日に
私が住むアラチュアのクリシュナ寺院の庭で開催される

キールタンに出会ってから、この音楽を極めたいと思って
インドに引っ越した

そしてアメリカ人と
結婚してアメリカに引っ越した
彼の地元から一番近いお寺の近くに今家族で住んでる

ここがまたキールタンの強いお寺だった
生まれてから歌ってるミュージシャンがたくさんいる

これは私の出る幕は完全にないな、と思って
子供も小ちゃいし、
キールタンを諦めてた

だけど夕方の人のいない時間に
お寺で歌ったりしてたら
公園でキールタンするから歌いに来てって誘ってもらったり

お家のパーティーに誘ってもらったり
朝お寺で歌う機会をもらったり

ハーモニウム(キールタンを歌う時にメインに使う木製の
アコーディオンなようなもの)の先生になったりして

さらには、娘が
ハーモニウムにイタズラするから(壊れやすい)
ウクレレでキールタンをするようになった

いいねって言ってくれる人がちらほら現れはじめて
インドで有名な
キールタニアの人から
お寺でもウクレレ弾きなよ!とアドヴァイスをもらってから

あの、アジア人のウクレレの人みたいな感じで
少しずつみんなに知ってもらう機会が増えてきた

引っ越してきた途端、パンデミックだったから
波が引いてる状態で、このコミュニティーの波に乗れなかったんだ

本当静かにキールタンをしてて
キールタンに対する姿勢もどんどん変わっていった

去年、もしかしたら、今の感じだったら
フェスティバルに呼んでもらえるかも
なんて思ったんだけど、かすりもせず、悔しい思いをした

出る幕があるっていう傲慢な気持ちね
神、すきじゃない

でも、やっぱり出てみたくて
自分ができる限りのこと精一杯やった

今年は、サポートしてくださいって
普段あんまり仲良くないけど誘ってくれた人がいて

あー、一歩前進した
でもやっぱり私は誘われなかったなぁ
まだまだだなぁと思ってた

どのくらいの謙虚の気持ちでキールタンに取り組めば良いのか
謙虚すぎると弱弱なキールタンになっちゃいそうだし
色々わかんなくなってた

そもそもさ、まだはじめて7年
それまでどれだけ遊び呆けてたか
なんで追いついたと思ってるんだろうか?

DJやってる時もそうだった
わたしに出てくる
意味のわからない自信、、

半ば不貞腐れてると
日本に昔住んでたことのあるパニプーシャさんがうちに現れて
「今年は、ワシントンDCで同じ日にキールタンのフェスが開催されることになって
キールタンリードする人が足りてないんだよ。君のキールタンいいから
主催者に言っておくね。
主催者、子供の頃から知ってるからさ!」

なんて話をしてくれて、あざっすって思ったけど
彼にそんな影響力があるのかとかかなり半信半疑だった

そこから何日経っても、連絡ないから
まあね、なんて思ってたら

お寺で、
主催者チームの一人に「土曜日歌える?」って
急に別の角度から来た

この人は9月に歯医者の予約しに行った時に
初めて会った
受付の人で

私の主治医こそ主催者の一人
そう、この人に知られてないとまず無理だなって
気がついてたんだけど

歯医者さんで生まれた頃からここに住んでて
大豪邸に住んでるからさ
もう完全に私はお近づけになれなかったの

それが、アメリカに戻る前日に歯医者さんにクリーニングしに行ったら
「虫歯あるから至急アメリカで歯医者さんに行ってください」
って言われて

それで半年くらい前に近所
できた
彼らの二店舗目のお店に行ったの

歯医者さんのお告げがなかったら
ミトラがパニプシャ連れてうちに来なかったら
DCでフェスが行われなかったら
選ばれなかったなぁ
と思う

ともあれ
はじめてフェスティバルに出ることができました

1:59:00くらいから唄ってます♪


これからも精進します

2023年6月27日火曜日

バンド始動

あるフェスティバルの時に
ステージのオーガナイズを任されたんだけど
色々不安要素があった

パリという仲良しのおばあさんと
キールタンのセッティングをしていたら

ギターケースを抱えた男の人が現れて
「手伝います」
と言ってくれた

神さまの遣い現る

テキパキとステージの準備をしてくれて
PAの人とも話してくれて
ギターだと思ってた楽器はベースで
一緒に演奏してくれた

それがジン

次の週に別のステージがあったんだけど、
一緒に出るはずだった友達にドタキャンされてしまって
ジンに助けを求めた

そして、
一緒にレゲエバンドすることになった!


2022年8月28日日曜日

自分のブログを発見

最後の投稿からほぼ2年が経ってた
なぜなら、なぜなら、子育てで精一杯だったから

クリシュナ雅李は3才になった
4月に4年ぶりにインドに1ヶ月行って、
そこから日本に3ヶ月行って、
何週間か前にアラチュアに帰ってきた
その旅の間に私もクリシュナ雅李も成長したみたい

一番嬉しいことは
夜通し寝てくれるようになったこと T-T

きっと、ずっと、ちゃんと寝れてなかったから
わたし、いつも疲れてたんだろうな

ご飯を食べてくれるようになったのも嬉しい
今日はおじやをおかわりして綺麗に食べてくれた

本当にこのブログの存在を忘れてて
読み返してみたら
もう忘れてしまっていたことが
いっぱい書かれてた

42歳になったわたしは
結婚してて、フロリダの片田舎の一軒家に住んで
幸せに過ごしてるよ

まだまだやってみたいことは
いっぱいあるけど
もう少しはクリシュナ雅李優先で

11月からいよいよ学校に入学するよ
保護者説明会とか
「親」感が半端ない

昨日ナディアが
「将来子供が好きなことで、きちんと仕事になることを見つけてあげたい」
と言っていて、心の底から共感した

わたしが昔の自分にアドバイスしにいけるなら
デザイナーか建築家か少しだけ志してた映像作家
どれか、しっかり勉強して、会社に入って修行しなさい
っていうな


でも、導かれなかったのも
パパ様 aka クリシュナの計らいだったのかもしれない

バイトしてたDieselでの彩加との出会いは宝物だし
その後、クラブ三昧で過ごした20代、
もうきっとすることはないラジオでのおしゃべり、
からのインドでの生活、
音楽にとにかく翻弄されて
今がある今回の人生

最後まで音楽に翻弄されちゃえばいいよね!

2020年9月10日木曜日

もう9月、、

新しくクリシュナに興味を持った人にかならず薦める
B.B. Govinda Swamiの素晴らしすぎるキールタン、

最近こっそりとキールタン教室をオンラインでやっていて、
必要に迫られて作ってみた「カラターラのたたきかた講座」、

わたしもはじめたころにとても知りたかった
「プラサーダムのささげかた」動画

の3つをいっきにここにあげてみました。


うちの夫、デーヴァは厳格なディボーティーなので
めったに外で作られたものをくちにする機会がない生活を
していて、最初は抵抗があったけど(ポテチやアイスが食べたかった)
2年もしたら、そこに美味しそうなジェラートが売っているのにも
かかわらず、スルーできるようになりました。

最近、クリシュナ意識が高まっているのは
このせいもあるのかな!?

1歳と4ヶ月になったクリシュナ雅李は、
カラタがとっても上手になり
うたも歌い
ピアノも弾き
ムリダンガを叩き
ピーコックのファンを仰ぎ
ディティーの沐浴を手伝い
お寺にいけば
プラブパーダのロータスフィートにさわり
両手を重ねて尊敬の礼をささげるようになりました
ようになりました

この辺はとっても大人っぽいんだけど
そのほかの時間はいたずらばっかりしています

プラサーダムのささげかた

カラターラ ミニ講座

2020年6月7日日曜日

Krsna! Krsna!! Krsna!!!

神さまDJ 第二弾。
Jazz, Rock, dance, Reggae, breakbeats, dub, pop, house, soulなどの織り交ぜなスピリチュアルロフトスタイルミックス。



2020年5月2日土曜日

ひとは本当に月へいったの?

ヴェーダ文献「シュリマド・バガヴァタタム」によると、
月は太陽よりも離れたところにある。

太陽が149.668,992km離れたところにあって、
月がそこからさらに2574950.4km離れたところにあったとして、
時速11184.681kmで、4日で辿り着くことができる?
7ヶ月はかかるはず。 (SB 8.10.38 purport)

また、答えは私たちがどの人が考える真実が好きかにもよる。

私たちは上昇的よりも下降的に知識を得ます。
つまり、学びには適切な情報源から知識を得るほうが、
推測や考察より早く有効的ということ。

これが、パランパラシステムの真髄。
ヴェーダの知恵は非常に長い時間、
パランパラシステムによって伝承されています。

非科学的なシステムにどうしてみんな信頼をするの?

もしも私たちが本当のお父さんを知りたいと思った時、
たくさんのお金と時間を使ってDNAのリサーチをすることはできるけど
それは決定的ではなくて、
どっちかっていうとお母さんに聞いた方が確実。
お母さんは嘘を教えるかもしれないけど、
たいがいは真実を聞けるはず。

人を乗せたロケットが本当に地球から月へと行ったのかどうかについては、
議論、陰謀説、そして憶測などがたくさんある。 
アポロ宇宙船が月に降り立ったと言われている時から
たくさんの疑惑あがっています。

プラブパーダはヴェーダ文献の中から、
月での住居者や惑星間での旅行について描写されている
宇宙地理学と天文学に基づいて 、
どんなロケットでも月に着陸することは疑わしいと言っています。

ヴェーダ文献には月は地球よりももっと富裕で敬虔な星だと書かれています。
たくさんの種類の生き物が住んでいて、住人は私たちよりもかなり長生き。

地球人が月へと行くことができるのは、たくさんの禁欲行為(オーソリティー)、
捧げもの、苦行、敬虔な行為を行ったあとにのみ可能○
機械的に運搬されるだけでは行くことはできません。 

アポロ宇宙船の宇宙飛行士は石ころよりも価値のあるものを持って戻らなかったので、
宇宙飛行士が行った場所は月ではなかったとプラブパーダは確信しています。

宇宙飛行士が記述している月はヴェーダ文献のいう月とは一致していないので、
月の大気圏には入れなかったのだろうとプラブパーダは言っています。

プラブパーダはこうほのめかしました。
映画産業においてフィクションを本物にみせる能力があることを考えてみると、
月に上陸する演出なんてのは相当簡単なのではないか、と。

プラブパーダはそのミッションの価値についても疑問を持ち、指摘してます。
 - もしもそれが本当に持ってきたものであったとしても - 持ち帰ってきたものは石とほこりだと。

最近になって、「月の石」と呼ばれている石の真正について問われています。
アメリカが他の国にあげたものは科学的に偽物だと証明されました。


参考資料
  • シュリマド・バガヴァタタム 3.32.3 解説:
    月に辿り着くのにスプートニックのような物質的な乗り物では不可能です。物質的な喜びに魅了されているひとは敬虔な活動をすることによって行くことができるようになります。
  • シュリマド・バガヴァタタム 4.22.54 解説:
    現代では地球人は月に行こうと試みましたが、月で誰のことも見つけることはできませんでした。ならば月に住む神はなおさらです。いずれにしても、月はとても高い質の住人がたくさんいて、中には半神たちも住んでいますとヴェーダ文献は何度も私たちに伝えています。なので、この地球という惑星の現代の科学者たちがどんな月の冒険をしたのか疑わしいです。
  • シュリマド・バガヴァタタム 5.1.8 解説:
    惑星間のシステムは確かに存在します。そしてそれぞれの惑星の住人は他の惑星へと行くことができます。この地球ではしかしながらある惑星からある惑星へと行けるマシーンの発明をまだしていません、しかし不成功の試みはまっすぐにと月へと行くことができました。
  • シュリマド・バガヴァタタム 5.17.4 解説 :
    現代の先端の科学者と呼ばれているひとたちはより高い惑星へ行こうとしていますが、地球上で電力不足も経験しています。もしも彼らが本当に有能な科学者ならば、個人的に飛行機で他の惑星に行けるはずですが、それはできていません。いま月への小旅行を諦めて、別の惑星に行こうと試みていますがまだ成功はしていません。
  • シュリマド・バガヴァタタム 5.22.8 解説 :
    月が太陽の光線から100,000ヤナヤまたは800,000マイルと考慮して、現代の月への小旅行が可能なことはとても驚くべきことです。月はとても遠いので、宇宙の乗り物がそこへ行けるなんて疑わしい謎です。現代の科学の計算は次から次へと変わっています、そして彼らはかくしんがありません。私たちはヴェーダ文献の計算を受け入れなければなりません。これらヴェーダ文献の計算は不変です;天文学的な計算は昔から存在していてヴェーダ文献に記録されています、そしてそれらは今でも間違いがありません。ヴェーダ文献か現代のものがどちらがより良いのかはほかの人たちは謎のままでしょう、しかし私たちはヴェーダ文献が誤りのないものとして受け入れ、重要と考えます。

2020年4月12日日曜日

恋愛バガヴァット・ギーター講座〜怒り〜

恋人とだったり、
夫婦でも親子でも、友達とでも
怒ったり、怒られたり、
いっぱい喧嘩たりもしちゃって、
いやになっちゃうよね。

バガヴァット・ギーターではその仕組について
こう説明されています。

献身奉仕が重要だって◎


2.62 


dhyāyato viṣayān puṁsaḥ

saṅgas teṣūpajāyate

saṅgāt sañjāyate kāmaḥ

kāmāt krodho 'bhijāyate


ひとは感覚の対象について考えていると
だんだんと執着していくようになり、
その執着は欲望となり、
欲望から怒りが生まれる


感覚は対象とじかに接触することを激しく求めるため、
主なる神への献身奉仕をしていない人々は
必ず物質主義になって、物を追い求めるようになります。

この物質世界において、天国の神々は言うまでもなく、
かの偉大な主シヴァや主ブラフマーに至るまで、
感覚の対象に支配されています。

この物質現象のわなから脱出するには、
クリシュナ意識になるほかありません。

主の誠実な献身者は、主との関わりによって
すばらしい精神的喜びを味わうので、
だんだんと肉体的な快感を嫌悪するようになる。

これが成功の秘訣。

クリシュナ意識に入ってないひとは、たとえどんなに意思が強くとも、
どんな方法で人為的抑圧をしても、
感覚の欲望にまけてしまいます。

なぜなら、感覚の快楽のことがちらっと心をよぎるだけで、
感覚を満たそうという衝動にかられるから。



2.63

krodhād bhavati sammohaḥ

sammohāt smṛti-vibhramaḥ

smṛti-bhraṁśād buddhi-nāśo

buddhi-nāśāt praṇaśyati

怒りから完全な妄想が生まれ
妄想にとって記憶が混乱する。
記憶が混乱すると、知性を失う、
そして知性を失うとひとは
再び物質のプールに落下する。

マーヤヴァーディーにとって、「主」、つまり「絶対者」は人物でないから、
物を食べるなどということはしないと考えています。
故に、食べ物の誘惑を避けようとして、美味しいもの、
栄養の豊富なものを食べようとしません。

ところが献身者は、クリシュナが、「最高に楽しむ者」で、
愛を込めてお供えしたものは何でも喜んで召し上がることを知っているので、
主に美味しいものを供えて、そのお下がりを喜んでいただきます。

この、ヴィシュヌに供えた食べ物をプラサーダムといいます。
このように、すべてのものは精神化されるので、
物質のプールに落ちる危険がありません。

マーヤヴァーディーたちは、人生を楽しむことができません。
不自然な禁欲をしているので、ちょっとした誘惑にも負けやすく、
いつも堕落の危険と隣合わせに生きています。

そうした種類の魂たちは、やっとの思いで解脱しても、
「献身奉仕」の支えがないので、また堕ちてしまうのです。


なる〜。


2020年3月8日日曜日

SB 8.6.12

牛さんについてのクラスでした。
わたしも一時期ミルク飲んでない時期があったけど、
クリシュナコンシャスネスで生きるようになってからまた復活してます。
できたら、大切に育てられているうしさんのミルクをファームから直接買いたいね。


牝牛の乳房を刺激することで甘露のようなミルクを得られます。
ミルクは甘露に例えられ、飲めば不死身になることができます。
もちろんただミルクを飲むだけで不死身になれるわけではありませんが、
寿命を延ばすことができます。

近代文明では人はミルクを重要なものだと考えず、だから人は短命なのです。
この時代のひとは100才まで生きることができますが、あまり大量にはミルクを飲まないため、寿命が短くなってきています。これがカリ・ユガの兆候です。

カリ・ユガではミルクを飲む代わりに、動物を殺してその肉を食べる方が好まれます。
至高人格神は『バガヴァッド・ギーター』の中で、牛の保護を意味するゴー・ラクシャを勧めておられます。

牛は保護されなくてはならず、絞ったミルクは様々な方法に利用すべきです。
たくさんミルクを飲んで寿命を延ばし、頭脳を活性化し、献身奉仕をして、
最終的に至高人格神の御好意を獲得するのです。

地面を掘って穀物や水を得ることが重要であるように、
牛を保護してその乳房から甘露のようなミルクを得ることも欠くことのできないことです。

この時代の人々は快適な暮らしのために産業を拡大しがちですが、神のもとへ帰るという人生の究極的目標を達成させてくれる献身奉仕への努力は拒みます。

不運なことに、
na te viduḥ svārtha-gatiṁ hi viṣṇuṁ durāśayā ye bahir-artha-māninaḥ.
と言われているように、精神的教育の施されていない人々は、神のもとへ帰ることが人生の最終目標だということがわかっていないのです。

この人生の目的を忘れ、人は失望と欲求不満を抱えながら必死で働いています(moghāśā mogha-karmāṇo mogha jñānā vicetasaḥ)。

いわゆるヴァイシャ ─ 実業家やビジネスマン ─ は、大きな事業を企てはしますが、穀物やミルクに関心を示しません。しかしここで述べられているように、砂漠であっても地面を掘り起こせば水を得られますし、穀物も育てられます。

穀物や野菜を作れば牛を保護することもできます。牛を保護しておけば大量のミルクを得られますし、十分なミルクを得て穀物や野菜と合わせれば、何百種類もの美味しい食べ物を作ることができます。この食べ物を満喫することによって、事業や失業を避けることができるのです。

harer nāma harer nāma
 harer nāmaiva kevalam
kalau nāsty eva nāsty eva
 nāsty eva gatir anyathā

「闘争と偽善のこの時代で、解放を得る方法はただひとつ。主の聖なる御名を唱えること。その他に道はない。その他に道はない。その他に道はない」

Festival of the Holy Name

Festival of the Holy Nameというキールタンのフェスティバルが毎年 Thanks Givingの後の金曜日と土曜日に 私が住むアラチュアのクリシュナ寺院の庭で開催される キールタンに出会ってから、この音楽を極めたいと思って インドに引っ越した そしてアメリカ...